ブックタイトル国士舘史研究年報第7号
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国士舘史研究年報第7号
「小野寅生日記」にみる戦中?戦後と国士舘23ダイク局長の後継者として教育改革を実施に移したが、その態度は、堅実で慎重であった(7)。」という。ニューゼントがCIE教育課長に任命された当時、CIE内では日本語の言語改革に関する新案が持ち上がっていた。すなわち、「公用語の片仮名統一」と「ローマ字による言語改革」がそれである。両案ともホール(Robert King Hall)による提案である。結果的には両案とも廃案となる訳だが、その最終段階において決着をつけたのがニューゼントであった。ホールは占領初期のCIE部内において傑出した人物と言われ、精力的に教育改革に取り組んだ。ただし反面では、日本語の徹底的簡素化論者であり、日本語を片仮名かローマ字で表記する改革案を来日前から準備していた(8)。そして、一九四五年六月二三日「公用語の片仮名統一」と題する覚書を、陸軍省民事部長ヒルドリング(Maj. Gen. John H. Hilldring)少将に送付している。それによれば、日本における軍事占領下では片仮名文字だけを認める必要があることを述べている。その主な理由は、戦前における軍国主義、国家神道、超国家主義教材の検閲が容易になるほか、学校における日本語の学習が容易になり、教育効果があげられるなどの利点が列挙されている。ヒルドリングは、国務省の見解を聞くため、国務省極東課日本担当のドーマン(E. H. Dooman)にホールの覚書を送付した。ドーマンは軍事占領下で漢字を廃止することは適当でなく、しかも知的?文化的な研究を極端に制約するなどの理由をあげて、ホール案を却下した。しかし、来日してみると、日本でも言語改革の動きが顕著であり、また、それはローマ字による言語改革の動きであった。すると、ホールはこれに乗ずるかのように、今度は一転して、教科書のローマ字化を提唱しはじめる。その理由は「ローマ字は外国人にとって日本語を読むことを容易にするからである。それは、日本の一般大衆にとっても法律や新聞を読むことを容易にするだろうし、したがって事実上の読み書きができる人になるであろう。日本人は文語体でなく、言語にローマ字を使用すべきである」というのである。しかし、CIE教育課長ヘンダーソンは、前田多門文相との事前協議にもとづいて、ローマ字化の指令を発する考えがないことを明確にする。その結果、ホールは計画課に左遷、文部省との遂行任務および連絡から解任された。その後、一九四五年一二月一〇日、ヘンダーソンに変わって、ニューゼントが教育課長に任命され、同月一四