ブックタイトル国士舘史研究年報第7号
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国士舘史研究年報第7号
「小野寅生日記」にみる戦中?戦後と国士舘21た。それが今回、「日記」で確認がとれたのである。まずは、「日記」一九四六年二月一〇日に、ニューゼントが登場する。自由の陰に責任あり、責任なくしては真の自由にあらず、亦自由とは本を読んでも得られるものではない各々の生活及び行動に取り入れ体得して始めて得られるものである、我々が調度自転車の本を読んでも実際に体得しなければ乗る事が出来ないのと同じである、私は如何にしたら日本の実情に沿つた様に行はれるか苦辛してゐる、ニュゼント等三名の外人のポーズは自然で落着いてゐた。一九四六年二月一〇日は、至徳学園開学にあたり、その理念やカリキュラム等を学園全ての関係者に宣言した日である。「日記」冒頭の「自由の陰に責任あり…」は、同席したニューゼントの挨拶とみるのが自然であろう。また、これが小野とニューゼントの最初の出会いであり、「ニュゼント等三名の外人のポーズは自然で落着いてゐた」とある如く、好印象であったことが解る。次いで、一九四七年三月二一日の卒業式で再会を果たしている。やや長文となるがこの日の日記を挙げてみる。一、午前十時より卒業式挙行さる。商業の生徒の答辞は真を穿うがって実に立派なものであった。猶卒業後も絶ず「読書」「体験」「反省」に依り止むなき努力の必要である事の御趣意の演説誠に結構であった。 〔中略〕一、鮎澤先生の御陰でニューゼント中佐殿と面会が出来亦中佐殿の抱負を拝聴して欣きん快かい置くあたはざるものがあつた。亦一年後ニューゼント中佐殿と御面接の約束及び日記を附けて報告をする約束、この約束をした以上死んでも約束を果すのが真の日本人であり、武士道である。今日の感激を新にする為此処に改めて今日から日記を附ける事にした。一、ニューゼント中佐殿お話の大要左の通り自由の裏には責任があり、言論報道の自由であるが嘘を言ってはならない。真理に基いて始めて自由であり得るのである。亦報道は真実を伝へると同時に社会の指導的でなければならない。お話の中で嬉しく思った事は、日本の善い所を忘すれて