ブックタイトル国士舘史研究年報第7号
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国士舘史研究年報第7号
「小野寅生日記」にみる戦中?戦後と国士舘15 頓首再拝 二十年一月六日冒頭に「田中先生に贈るを悪筆の為中止するの文」とあるように手紙の案文である。そこには勤労奉仕のやり甲斐のなさや時局に対する不安が訴えるように記されている。一方、学校では、勤労も学問の一つとして捉えるよう諭している。「日記」一九四五年五月三〇日には「工場に行き或は壕堀や便所作りでも立派な学問である、其の事に精神を打込んで一心に真剣に行へばである、斯は事上練磨と云ふて精神教育を主とする東洋の教育法である。(中略)(小川先生の御話を承つて呑空迷ふ)」と小川忠太郎の訓話を聞き、複雑な心境になった旨が記されている。三 終戦終戦後、「日記」の記載はしばらく途絶える。再開は一九四五年九月一二日である。次のようにある。八月十五日以降筆を取らず亦当ても無く考へも起らず只ひた管すら日本の前途を案じ小生の身の振方を考ふれど好き考へ浮ばず、只々生死に任すの他無く日に昼夜の有る如く、如何に頑張るとも死の脱るべからざるを見えど、死に至る迄徒つれ食づれする訳にもゆかず如何にして生計を樹立すべきかを迷ふ。世の中が百八十度変わってしまった訳であり、この心境は察して余りある。戦争末期には、先輩や同輩が戦地へ召集されていく姿をみており、小野自身も死を覚悟していた。「日記」一九四六(昭和二一)年九月五日に「小野寅生日記」昭和20 年9 月12 日(下段)