ブックタイトル国士舘史研究年報第7号
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国士舘史研究年報第7号
会田彦一153攻法の柔道を心がけなさい』と訓辞(ママ)されました。そのことは四〇数年経た今も、ありありと身体が覚えています」(「国士舘大学柔道部時代の思い出」〔上野孫吉『国士舘大学柔道八〇年史―国士舘を創った人達と柔道部の歴史―』国書刊行会、平成一一年四月二六日〕)と回顧し、同じく一期生の川人芳正は「嘉納先生の直弟子であった会田彦一先生は、いつも端正に正座され、厳しさと慈愛に満ちた姿で見守ってき(ママ)ただき、学生から敬慕されていた」(「朝稽古と寮生活」〔前掲『国士舘大学柔道八〇年史―国士舘を創った人達と柔道部の歴史―』〕)と会田の印象を振り返っている。最後まで学生とともにあった会田の言葉に、次のものがある。私の蒔いた種は誠に取るに足らぬが、柔道の強い生命力は必ず世界各国に開花結実する事を信じ(中略)母校の高師や国士館、法政大等に教鞭を取つて来たのも学生と共に正しい柔道を培いその発展を祈る悲願に外ならない。(会田彦一「序にかへて」〔前掲『図解柔道』〕)柔道を精神修養の手段と捉え純粋に柔道の発展を願う、柔道の伝道者?教育者であった会田が築いた国士舘柔道は、これからも受け継がれ発展していくのだろう。