ブックタイトル国士舘史研究年報第7号

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概要

国士舘史研究年報第7号

国士舘史研究年報2015 楓?138第二校庭 野球場一面分位?授業時間 午前、午後の二部制現地の学校が二部制だったため日本語学校も二部制を採用しました。現地の小学校は午前と午後の二部制で、中学?高校は午前と夜間の二部制でした。日本語学校は午前?午後のクラスとも四五分授業を三時間行いました。一時間目が九時から始まり一一時三五分に三時間目の午前の授業が終わると、一四時三〇分から午後の授業が始まるまで昼休みが三時間もありました。授業が終わった後に生徒の質問に答えたり、校庭で遊んだりしても休み時間が長すぎたように思いました。それは暑いブラジルの気候に合わせていたからです。私達が渡伯した六月は南半球では冬でした。最低気温は一〇度位まで下がりますが、日中は三〇度近くになることもありました。厚手のジャンパーを着て出勤して、セーター、長そでシャツと脱いでいき、最後はTシャツになるという寒暖の差がありました。夏は四〇度近くになりますが湿度が低いので、日陰に入れば涼しく感じ日本のような蒸し暑さは感じませんでした。ブラジル人は昼休み一旦帰宅し昼食をゆっくり食べてから、また午後出勤するのです。「シエスタ」のように昼寝している人もいました。ブラジル人は銀行で午前中働いて夜は大学生として授業をうけることも普通でした。?クラス編成日本語学校のクラスは一クラス二〇人程度、日本語能力に応じて初級、中級、上級と年齢に関係なく能力別のクラス編成を採用していて、六歳の児童も一六歳の生徒も同じ教室で授業を受けることもありました。授業は火曜日から土曜日までで、日曜日と月曜日が休日でした。学校行事として運動会や修学旅行等を計画?実施しました。?住まい赴任直後は慣れない海外生活に対する配慮から、日系人(一世の方)のお宅にホームステイをさせていただき、離れの二階に部屋をお借りしました。朝夕の食事も用意していただきました。そして三か月後に日系一世の方が所有する三LDKの一軒家に引っ越しました。この方は予科練出身の方で温厚でありながら気骨