ブックタイトル国士舘史研究年報第7号
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国士舘史研究年報第7号
ジャカレイ日本語学校と日本語教師派遣事業137口は二〇万人くらいですから、距離的にも人口的にも日本でいうと小田原市辺りをイメージしたらよいかと思います。高速道路沿いには日系企業が多くあり日立、SONY、パイオニア、パナソニックなどの工場がありました。市内には日系人も多く居住していて、主に商店や工場を経営されていました。周辺には四つの日本人コロニア(入植地)があり、各コロニアは出身県別に分かれているようでした。私達が赴任したジャカレイ日本語学校は市内の日伯文化体育協会が運営する新設の学校でした。前出の四つのコロニアに市内の日系人子弟を加えた生徒約一二〇人あまりを迎え、保護者、ブラジル日本文化協会関係者など総勢二〇〇人近くが出席し六月一一日に落成式、翌一二日に開校式が盛大に行われました。この学校にかける地元日系人社会の期待をひしひしと感じました。?学校の施設(昭和五八年六月竣工)校舎 平屋三教室 (中教室×二、大教室×一)大教室は中教室二部屋分で式典ができる広さ。校舎は父兄会が自分達で建設した「手作り校舎」第一校庭 縦八〇m×横一二〇m サッカーグランド位昭和58 年頃 校舎全景