ブックタイトル国士舘史研究年報第7号
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国士舘史研究年報第7号
銃剣道部の揺よう籃らん127んであり、またお母さんのような存在であったと云えるのではないでしょうか。私を始め多くの学生たちが学部事務室の学生主事の先生方を訪ねることが多く、アットホームな雰囲気があったように思います。学業の面では卒業後に中学校の教師になった橋本長善君の勧めもあり、政治学科の教科の他に教職課程も履修することになりました。思い出に残る出来事として、四年間の時間割で日曜以外は月曜日から土曜日まで必ず何科目かを履修して平日に休みの日を作らなかったことです。海上自衛隊にいた私は「月月火水木金金」を信奉していたのかも知れません。そして、望岳寮の屋上で毎晩、仲の良い寮生の一年生が十数名集まり、体力錬成トレーニングを行っていました。トレーニングの目的は、規律ある寮生活を快適に過ごすためにお互いを勇気づけ、励まし合うことでした。このことがきっかけとなり、友情が生まれ、主に望岳寮の同級生の仲間たちと共に、他の同級生も加わり一緒に「銃剣道部」創部へと繋がっていくことになりました。初代銃剣道部部長兼監督には、林勇先生に就任して頂きました。望岳寮での生活は、一年生の夏休みを迎えるところで終了となりました。前期分の寮費は、収めてありましたが、寮生活はあくまで東京に身寄りのない私の学生生活を始める上での足掛かりでした。私には、二年生以降の学費の確保と学生生活を送る上での生活費を工面しなければならない課題が残っていたのです。望岳寮を退寮した私は、その時期に自衛隊から支給された中途退職者の一時金で京王線にある下高井戸駅の近くに下宿を借りました。夏休みの間、新宿中村屋のレストランで皿洗いのアルバイトをして働きましたが、皿洗いのアルバイトでは次年度の学費はおろか、生活するのがやっとの状況でした。その時でした。入学時に配付された「創立者 柴田德次郎先生」という小冊子の内容に括目したのです。創立者柴田先生が苦学力行されたように自分も牛乳配達をして学費を稼ごうと思い起ったのでした。そして、そのころ創刊されたばかりの「週刊アルバイトニュース」を購入して仕事口を探すうちに、自分が住んでいる下高井戸の町に牛乳配達ではなく、産経新聞の配達員募集の項目があることを発見しました。すぐに販売店を訪ねると運よく採用となりました。それから、卒業までの足掛け四年間を産経新聞配達奨学生として働くこととなったのです。毎朝、四時一五分に起床、新聞配達を済ませて登校、