ブックタイトル国士舘史研究年報第7号
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国士舘史研究年報第7号
国士舘史研究年報2015 楓?126るための収入もまた入学後二年目からの学費を得る当ても全くありませんでした。そのような状況の中で生活費だけ持って上京することとなったのです。私の入学する「国士舘」は、大正六年、激動の大正中期、創立者柴田德次郎先生ほか青年有志が、智力と胆力を備えた有為の人材の育成に思いをはせ、東京麻布の地に私塾「國士館」を創立したことをもって始まりとします。そののち、吉田松陰ゆかりの地、江戸時代に、長州藩下屋敷「若林藩邸」のあった現松陰神社畔に学校を設立しました。商業学校、中学校、国士舘専門学校を経て、戦後、学制改革にともない、現在の大学へと至っております。昭和五〇年四月、東京に身寄りのない私は住居として鶴川校舎(現町田キャンパス)望岳寮に入寮しました。私の入寮した五階C棟の舎監は、松本敏道先生でした。寮生の同級生に橋本長善、沼崎朋之、門井保君たちがいました。後に銃剣道部の仲間になりました。寮生活の一端を述べますと、早朝の「総員起床」から始まり、各階で「点呼」「掃除」を行います。また、夜は「掃除」「点呼」その後に「舘歌演習」等が行われました。規律ある寮生活は、人間形成に資する思い出に残る体験となりました。私が標題にある銃剣道という武道を知ったのは、昭和四〇年代初め頃のテレビ番組で大塚製薬提供のご当地ドラマでもあった広島県呉市の対岸にある海軍兵学校を舞台にした青春ドラマ「若い命」です。俳優の南道郎扮する鬼教官が銃剣道防具を身にまとい、私がはじめて目にする木銃で生徒をしごく訓練風景が強烈な印象でした。銃剣道に非常に興味が湧き、機会があれば、是非やってみたいと思うようになったのです。ちょうど海上自衛隊に入隊して昭和四七年夏、ドラマの舞台であった江田島の対岸、呉警備隊の営庭で私の銃剣道訓練が始まりました。それから四年の歳月を経て政経学部政治学科の学生になった私は、大学に登校して講義を受ける前後に学部事務室におられる学生主事の林勇先生に日参するのが日課となっていました。朝、登校すると先ず学部事務室に顔を出して、「おはようございます」と挨拶してから教室に向かいます。下校する時はその逆で「失礼します」と挨拶して帰ります。その当時は学生主事の先生が各科目の出席を取っていました。国士舘大学の学生主事(往時学生監)は、陸上自衛隊の区隊長、海上自衛隊の分隊長のような役割をされておられました。特に地方から入学した学生が多くいた当時、学生にとってはまさにお父さ