ブックタイトル国士舘史研究年報第7号
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国士舘史研究年報第7号
銃剣道部の揺よう籃らん125「男児志を立てて郷関を出ず、学若し成る無くんば死すとも還らず」思い起こしますと昭和五〇年四月、私は郷里である石川県小松の母に、そう自分の決意を告げ、国士舘大学へ入学するために上京したのでした。それまで四年六か月間、自衛官として海上自衛隊に勤務していた私は向学心に燃え、大学受験を志し、勉強は単に知識ではなく、考え方の気付きを啓発するための学問でなければならないと心に決めたことが大学進学の動機づけであったと云えます。そんな想いの自分にぴったりな大学が国士舘大学でした。入学試験は、地方試験で受験、昭和五〇年二月一一日広島市の予備校「広島英数学館」が試験会場でした。筆記試験の先生は、法学部の椿幸雄教授で面接試験官も椿先生が担当されました。試験会場では、その後同級生となる山本順一君が山口県から受験に来ていました。彼は入学後鶴川剣道部に所属して授業でも学生生活でもよく交遊する友人となりました。海上自衛隊を退職するにあたり、呉総監部援護室で意向調査の面接を受けることになりました。係官から自衛隊に入隊してどうであったかの感想を尋ねられ、「自分ではよくわからないが、親から自衛隊に入ってお前は変わったと喜んでくれた」ことを伝えました。また、退職してから何がしたいかと聞かれ、「社会や人のために役に立つと思える仕事に就いて、終生、国を守ることに寄与して往きたいと思う」と答えたことを覚えています。さて、合格通知を受け取り、入学手続きを済ませたまではよかったのですが、自衛隊を退職した私には生活す政経学部一部政治学科一五期生 戸水 俊輔銃剣道部の揺よう籃らん国士舘の思い出