ブックタイトル国士舘史研究年報第7号

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概要

国士舘史研究年報第7号

国士舘史研究年報2015 楓?122続いている。寮生活が人間形成を培ってくれた。人に優しく自分に厳しい人格も身につけることができた。国士舘大学だからこそ成し遂げられた賜物であった。二度と見る事の無かった日記を半世紀振りに繙ひもとく、葛藤あり、経済的危機ありで本当に苦しかった。あの時の情景が少しずつ蘇った。三年生の秋頃、「疲労困憊から頭痛と発熱の体調不良となり医務室で八日間寝込む。その間嫌とも言わずに食事を運んでくれた同室の荒井隆さん、後輩の下城重喜さんに助けられる」と記述にあり。丈夫に産んでくれ、我慢して耐えることや、優しさを教えてくれた母は「俊夫が卒業するまで生きとらんかもわからん」と言って嘆いていたが、八八歳の米寿まで生き延び天寿を全とうした。仏壇の前で父親代わりの兄に言われた「食う物食って、着る物着て、授業料払って四年で」無事に卒業でき兄に報告すると、「お前は一人じゃけん出来たんだ」と言われたが、知人には自慢の末弟と吹聴していたようでした。それにしても、必死で初志貫徹を貫き通し頑張った。その原点は一体何であったのか。創立者柴田德次郎先生のお教えと感化の賜物であった。大学の先生や多くの同窓などに助けられ励まされ成し遂げることが出来た。大きな夢が実現したが、自分だ昭和59 年8 月19 日 小熊先生を囲んで(前列左より2 人目小熊先生、3 人目筆者)