ブックタイトル国士舘史研究年報第7号
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国士舘史研究年報第7号
国士舘史研究年報2015 楓?120の箸(フォーク)で思い思いの袋に入れて持参していた。開食時の様子だが、他人の食器と間違えて受け取る者、なかなか食器を渡さない者、カタカタと鳴らす者で賑やかで、ことに女子は自分のご飯の食器だけに気を取られ、オカズの方はそっち除けでじっと凝視している者などで、大変愉快な毎日でした。これなど出膳の手際がよくて珍しいので、うっとりしていたのだと思いました。女子学生が入寮してきて活気があり、仕事が捗はかどった。ことに心臓の強い女性が多いのにもびっくりした。午後は三時頃から準備に入った。食事付きで九?一〇月の二月分で一万八四○円支給され授業料四九○○円、寮費一〇〇〇円を納入した。三年時の一月二九日、剣道で同期の仲間や、先輩がみんな立派な人物ばかりで、その気風に惚れ入部を申し出て認めてくれた。二月に大野操一郎先生の還暦祝いが剣道場で催され、三月には剣道二段に合格した。四 学生達ばかりのバイト生で 調理を賄う料理長の三田さんが脳溢血で倒れられ、加茂さん、長谷さんと、私、鈴木、阿野の五人でスタートする。今まで釜で炊いていたご飯は四年生の四月七日より「ガス炊飯器」となり、あの冷たい水洗いから解放される。一台で三釜炊け三台で九釜となる。七月一五日から栄養士の山口洋子先生(葛飾区)が就任され、新しく献立表が作成され、調理がはじまった。この時期に剣道三段合格した。バイト生だけで間に合わず一一月二九日より常盤寮女子陸上部六名の手伝いがあり、食券切りに鈴木隆子さん、飯盛りを下山さん?岩部さんが担当、応援が毎日交替で手伝いに来るようになり、正気寮から時習寮―青雲寮―常盤寮―富士見寮、最後に松柏寮と順調に回転するも、指導する立場の私たちは大変だった。開食時の分担は鈴木さんが食券切り(三食時のパンチ切り)、私がご飯盛り(しゃもじ三杯で六○○g)、阿野さんがみそ汁、他のバイト生はオカズと下手間として働いた。朝昼晩と飯盛ばかりを担当していた。お陰で肩や腕の筋力も鍛えられた。調理の腕も上がり、千キャベツを刻みながら、後輩たちにアレコレと指図が出来るまでに腕は上達した。四年生の二月一九日の献立は「最初に鳥挽き肉を炒めておいて人参、椎茸、玉ねぎを入れて柔らかくしてお