ブックタイトル国士舘史研究年報第7号
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国士舘史研究年報第7号
食堂アルバイトと寮生活で得たもの117一 大学は出たけれど、 あの映画の通りじゃ「『大学は出たけれど』と言うあの映画の通りじゃ、大学を出ても職は無いし、今やって家で飯を食わしてやって寝かしてやっとる。高松でアパートでも借りて、そこから仕事に行ってみいー。それを東京に行って、食う物食って、着る物着て、授業料払って、どなんして生活して行くんじゃー、それも昼の大学に行ってー」。父親代わりの長兄善則(元高松一高教員)に進学を打ち明けたのは二一歳も過ぎていた昭和三四年早春の頃であった。大学の内容のことは全く知らず、同郷の二期生横井孝義先輩(高校時代同窓で陸上部)から「小田、お前であったらやれんことはないから来んか」と誘われた。彼は豪徳寺の近くにある「勝光院」に住込みで働き、境内の草抜きや掃除、忙しい時には住職さんに同行して檀家も廻って手伝っていた。その話も伺ってから二年も経っていた。経済的支援が無くとも一生懸命働いて何とか生活費や学費を工面し、七、八年は覚悟の上で悲壮な気持ちで上京した。青雲の志にはほど遠く無謀そのものであったかも知れない。全寮制で四月九日正気寮(現一〇号館北西側)二号室に入寮した。全国から集まってきた新入学生で陸上関係者ばかりの部屋であった。三年生で二期生の大坪義昭先輩(長崎)、二年生で三期生の梶原敏睦(福岡)?阿部勇(栃木)の両先輩であり、同期の宮田海山(広島)?村山信一(鹿児島)?土屋雅雄(宮崎)?向山徹(広島)?山内宏(北海道)?早田義和(兵庫)?林定夫(青森)など体育学部四期生 小田 俊夫食堂アルバイトと寮生活で得たもの国士舘の思い出