国士舘大学では、スポーツアスリートの倫理規定として
「国士舘スポーツアスリート憲章」を制定しています。
この憲章は、スポーツ?武道等のスポーツ文化を実践する者が身に付けなければならない行動規範を意味し、コモンロー的な性格を有するものです。この意味において、本学建学の精神から導き出される道徳規範、倫理、慣習を反映し、単にスポーツ?武道等における倫理にとどまらず、一般化?普遍化された市民的?人間的な道徳と倫理を象徴するものです。
国士舘スポーツアスリート憲章
01 スポーツアスリートは、スポーツが個人の尊厳の上に立脚していることを知る。
02 スポーツアスリートの最大の報酬は、たゆまぬ努力から生まれる喜びと充実している自己の存在である。
03 スポーツアスリートは、ルールとその精神に従い、スポーツに忠誠を誓う。
04 スポーツアスリートは、常に自制を心がけ、自己への尊厳と他者への尊厳を保つ。
05 スポーツアスリートは、スポーツの美の創造者であり、スポーツ文化の継承?変革者である。
06 スポーツアスリートは、スポーツが「人を生かし、国を活かし、世界に貢献する」ことを知る。
制定日:1999年10月17日
勝利よりも優先すべき価値とは?
スポーツマンシップとは、スポーツをする人やスポーツにかかわる人が身につけているべき精神や態度を表す概念で、スポーツ本来のあり方を示すものでもあります。今日ではフェアプレーとほとんど同義に用いられていますが、いずれもイギリスに由来し、スポーツが人格形成やジェントルマン(丁寧で教養があり信頼できる人物)育成のための重要な教育手段であったことから生まれた言葉です。つまり、スポーツによって身心を鍛え、人格的にも優れた人は、一般社会においてもリーダーシップを発揮し、国や世界で活躍できる素地を備えていると理解されているのです。
勝敗を競うスポーツであれば、勝利を目指してあらゆる努力をしていくのがアスリートの務めでしょう。しかし、厳しい闘いを強いられる中にあっても、勝利よりも優先すべき価値があることを忘れてはならないのです。それが人間の尊厳を保つこと(一人ひとりの人間を大切にすること)であり、定められたルールを守って、ベストを尽くし、自己中心的な態度を慎み、他人や周囲を思いやる気持ちを持つことです。暴力、ドーピング、ルール違反などの卑怯な方法で、相手より優位に立とうとすることが、いかにスポーツマンシップからかけ離れた態度であるかは明らかです。
純粋にスポーツを楽しいと感じ
偽りのない充実感?達成感に充たされる瞬間。
オリンピックのような大舞台でも、対戦相手が不利な状況にあるときに、自らの勝利に固執することなく、無条件に相手の不利を補う行動をとった選手が大勢います。自分だけでなく相手も良い状態で互いの能力が十分に発揮されたとき、純粋にスポーツを楽しいと感じ、偽りのない充実感と達成感に満たされるのではないでしょうか。そして、そのようなときに同じ目標を目指して努力してきた相手と、仲間意識や友情が芽生えるのではないでしょうか。スポーツにかかわっている人が、その営みによって未来のスポーツ界をつくっていきます。スポーツマンシンップを心に留めて、日頃の鍛練と研鑚を積むことが、人類にスポーツという文化を残し、発展させていくことになるのです。
非暴力宣言
- 一、国士舘が武道精神を教育の根幹としてきたのは、「礼に始まり礼に終わる」といわれているように、武道には世界的に見ても水準の高い「人としての生きるべき道」が含まれており、人格の陶冶に寄与するところが大きいと考えているからである。
- 一、武道は格闘技に属するが、それを超えるものがある。例えば剣道を学ぶ者は、剣が人を殺しうる道具であるからこそ、日常生活の中で剣を抜かないことを信条とするべきである。そうしてこそ、武道を学ぶ者が人として光り輝くことになる。
- 一、武道精神を教育の根幹とする国士舘は、したがって、それ故にこそ暴力を否定する学園でなければならない。今後は一時の感情にかられ、言論による説得を忘れて暴力を振るう者が出た場合、国士舘はもはやこれを構成員と認めることはできない。
- 一、国士舘は、過去に起こった本学学生による事件を契機として、以上のような覚悟をもって非暴力を誓うことを内外に宣言する。
制定日:1999年10月19日