国士舘大学文学部史学地理学科を卒業した林さんと藤塚さんは、どちらも考古?日本史学コースを専攻し、仁藤先生のゼミで薫陶を受けました。文学部の幅広い学びで教養と思考力を培った二人は、現在、教育の現場に身を置き、生徒たちと向き合う日々を過ごしています。今回は仁藤先生と卒業生の対談を通して、人間を豊かに成長させる文学部の学びについてご紹介します。
文学部の魅力
- 編集部
- 仁藤先生は文学部の学部長をされていますね。まず文学部の学びについて、簡単にご説明いただけますか?
- 仁藤
- はい。まず文学部に入ってこられた学生さんはとても潔いと思います。純粋に「好き」という思いで文学部を選ばれているので、大きなエネルギーを持たれています。国士舘大学の文学部では、学生一人ひとりが与えられた時代を生き抜いていくための「人生のメソッド」を学ぶことを主眼にしています。そのために文学部には、「教育学科」「史学地理学科」「文学科」の3学科?5コースがあり、それぞれの専門領域で深く学ぶだけでなく、多様な広がりを持つ周辺領域との有機的な繋がりのなかで学びを修められるようになっています。今日来てくださった卒業生も、史学地理学科ですが、半分は教育学科での学びを受けて教員になっています。
- 編集部
- なるほど。専門性高く、しかも幅広く学べるということですね。
- 仁藤
- そうなんです。そして、もうひとつの特徴は、とにかくユニークで魅力的な先生が多いということです。たとえば、教育学科にはライフセーバーの資格を持って指導にあたっている先生もおられるんですよ。林さんと藤塚くんは、どんな先生を覚えている?
- 藤塚
- 私が一番印象に残っているのは、宗教学とか哲学を教えてくださった先生ですね。個性的な先生で、インパクトがありました。武士の思想など、自分が興味のある専門分野を話してくださったので、たいへん学びの多い授業でした。
- 仁藤
- それは文学科日本文学?文化コースの日本倫理思想史の先生ですね。あの方はときどき和装をされるんですよね。非常に博識で面白い先生です。
- 林
- 私は、考古?日本史学コースの考古学の先生が印象に残っています。もう「瓦、瓦」という感じで、古代の瓦が専門の先生でした。
- 仁藤
- 私は古代史の研究をしていますが、当コースには、中世、近世、近代、現代に至るまで、すべての時代をカバーする先生が幅広く揃っています。日本だけでなくフィンランドの近現代史を研究している先生や、辛亥革命以前の中国の伝統文化や日中関係に詳しい先生もおられます。地理にはアフリカに行って研究されている先生もいらっしゃるし、木を見て自然環境を語る先生もいますね。とにかくいろんな分野の個性的な先生が集っていて、国士舘大学の文学部は、開けてびっくり玉手箱みたいなんです(笑)。
- 藤塚
- 本当に、いろんな先生がいますね。幅広く専門性のある講義が聴けるので、楽しかったです。
- 仁藤
- 他の学部と違って、文学部の学びはすぐに社会に出て直接役立つとは限りません。でも、人生は長いじゃないですか。知識を幅広く吸収して、考える力を付ければ、人生で必ず役に立ちます。学生時代に蒔いてきた種が、発芽して、花を咲かせて実を結んでいく、そういう豊かな人生もいいのではないかと私は思っています。
ゼミで学んだこと
- 編集部
- 仁藤先生のゼミでは、どのようなことを学んでいるのですか?
- 仁藤
- 専門ゼミでやることは卒業論文の作成ですね。最初にやることは卒業論文のテーマ決めです。そのために、ゼミのみんなで日本の古代史に関する概説書を輪読していきます。学生には6月末ぐらいに卒業論文の計画書を出してもらい、そこから本格的に史料を読み始めます。
- 編集部
- 教材は毎年同じものを使うのですか?
- 仁藤
- いえ、教材はその年によって違います。あなたたちのときは何を読みましたっけ?
- 藤塚
- 私たちのときは、『日本文徳天皇実録』を読みました。
- 仁藤
- ああ、そう、平安時代に書かれた『日本文徳天皇実録』でしたね。他にも『藤氏家伝』という中臣鎌足や藤原仲麻呂につながる家伝を読んだり、『新猿楽記』という平安末期の文献を読んだ年もあります。この本にはいろんな職業をしている30人の人物が登場します。そのような史料をみんなで読んで、平安時代の人たちがどんな職業に就いていたのかなどに思いを馳せます。年によって教材を変えるのは、私が楽しみたいからなんですね。私もワクワクして授業の予習をしています。
- 編集部
- 林さんと藤塚さんは、どんな卒業論文を書いたのですか?
- 林
- 私は律令について書きました……。
- 藤塚
- え、それで終わり?
- 仁藤
- もっと、しっかり説明しなくちゃ(笑)。
- 林
- 記憶が曖昧で、すみません。律令が文字通りに本当に古代の社会において施行されていたのか、といったことを考察する卒業論文でした。
- 仁藤
- 付け加えると、彼女は757年に起きた「橘奈良麻呂の変」というクーデターの未遂事件について論文を書いたのですね。未遂事件だったので、いろんな人が罰せられるじゃないですか。それが律、今でいう刑法にあたるのですが、その律の運用が的確になされたのかどうかということを検証しました。そうでしたよね?
- 林
- ありがとうございます。書いた本人が忘れていました(汗)。
- 藤塚
- 私は何だったかな(笑)。平安時代の初期に「承和の変」と「応天門の変」という二つの政変があるのですが、これは冤罪と言われているんです。教科書にある史実としては、橘氏とか有力貴族が変を起こして追放されたとなっています。でも、私は違うと思ったんです。誰かの仕業や、誰が悪いというのではなく、古代王権の仕組み自体に政変の原因があるのではないかと仮説を立てました。王権の仕組みに政変の原因を見出そうとした論文です。
- 仁藤
- 承和の変は842年で、応天門の変は866年ですね。9世紀全般の非常に著名な政変で、特に応天門の変は「伴大納言絵巻」にもなっています。これまでは藤原氏の陰謀説とされていて、摂政関白になって地固めをしていくにあたって邪魔な氏族を排除したという史観が主流でしたが、藤塚くんは、そのときどきの王権がそれらの排除を選択したのだということを実証した論文を書かれました。
- 編集部
- 大学で学んで楽しかったことや、逆に大変だったと思うことはありますか?
- 林
- 高校までの勉強では、歴史は教わるものという感覚でした。でも、大学の学びは違います。いろいろな史料を読み、絵巻を見たりしながら、自分で読み解き、発見していく面白さがありました。大変だった事は二つあって、一つは卒業論文ですね。卒業論文を書くのがすごく大変でした。自己管理っていうんですか。すべて自分でスケジューリングして、主体的に動く必要があるので、ここに苦労しましたね。もう一つは、教育実習です。私は教育実習を2回行いました。
- 仁藤
- 林さんは中学校と高等学校の教員免許の他に、小学校の教員免許も取っているんです。いわゆる「副免」と呼ばれるものですね。だから教育実習も2回ありました。
- 編集部
- なぜ、副免を取ろうと思ったのですか?
- 林
- 私は今、小学校の教員をしていますが、本当は中学校の社会科の先生になりたかったんです。ただ、小学校の教員免許があると採用試験で有利になるというような話を聞いて、小学校の教員免許も取っておこうと思いました。ただ、自分の学科の卒業単位を取った上での副免取得なので、授業数が増えて大変でした。そこに卒業論文が重なってきたので、本当に苦労しました。
- 編集部
- 林さんは大学で何単位取得されたのですか?
- 林
- 普通は124単位取れば卒業できるのですが、私が最終的に取ったのは205単位でした。
- 編集部
- 205単位! それはすごいですね。加えて、教育実習が2回も。
- 林
- はい、中学校の教育実習が4年生の5月末から3週間あって、小学校の教育実習が10月末から2週間です。そこに卒業論文の締め切りがあって、とにかく自己管理が大変でした。
- 仁藤
- ちなみに卒業論文の締め切りは12月10日でしたね(笑)。
- 林
- すみません。7月に教員採用試験もあったので、あまり大きな声では言えませんが、卒業論文はそっちのけになっちゃいました(笑)。
学びの温かい雰囲気
- 編集部
- 林さんと藤塚さんは、なぜ国士舘大学の文学部に入ろうと思ったのですか?
- 林
- 先ほども言いましたが、私は初め中学校の社会科の教員を目指していました。中学校の社会科では、歴史と地理と公民の3分野を教えることになります。でも、私は歴史が苦手だったので、大学の4年間で苦手な歴史を克服しようと思いました。いろいろ調べた上で辿り着いたのが、国士舘大学の史学地理学科でした。生徒も、歴史の苦手な先生に社会科を教わりたくないじゃないですか。
- 藤塚
- 私も親が学校の先生だったこともあって、将来は教員になろうと思っていました。中高では社会科が得意だったので、中でも歴史に興味があったので、歴史を専門に学びたいと考え、進学先を考えました。先ほど仁藤先生がおっしゃったように、国士舘大学の文学部には全分野、全範囲、全時代の教員が揃っており、また西洋史に通じる先生もいらっしゃるので、国士舘大学に進学しました。
- 編集部
- 先生から見て、林さんと藤塚さんはどんな学生でしたか?
- 仁藤
- 林さんは見ての通りの人ですね。裏表がまったくないですし、素直で、何にでも一所懸命。飾りがないぶん率直で、とても誠実な人だと思います。
- 林
- 私は分かりやすい人間なのでしょうか。
- 仁藤
- 藤塚さんは、優秀な人というイメージがありましたね。でも、優等生タイプではなく、ちょっと面白いところもある。人なつこかったり、グチをこぼしたりね(笑)。
- 林
- グチをこぼすけれど、やるべきことはしっかりやるという感じ。
- 仁藤
- ゼミって面白いもので、こういうふうにいろんな人がいるわけですが、緑あって集まると、化学反応が起きて、その年のゼミの雰囲気ができあがるのです。この学年は、どちらかというと大人しいゼミでしたね。
- 藤塚
- そうですね。わりと大人しかったかも。
- 仁藤
- 次の年のゼミは大変明るく、いつもイェーイって感じでしたよ。毎年、雰囲気が違って面白いんですよ。だから、私は卒業生と会うのがすごく楽しみです。
- 編集部
- 林さんと藤塚さんにお訊きしますが、仁藤先生は、どんな先生でしたか?
- 林
- そうですね、私は学生に寄り添ってくださる先生だなと思いました。相談に行ったときは、いつも温かく迎えてくださって、いろんな言葉を先生からいただきました。いい意味で大学の先生らしからぬというか、担任みたいというか、私にとってはお母さん的な存在でしたね。甘えちゃだめなんですけど、甘えさせていただきました。
- 藤塚
- うん、うん。面倒見のよさっていうかね。
- 編集部
- 藤塚さんはいかがですか?
- 藤塚
- 言葉にするのは難しいですけど、先生は安心感がありましたね。ゼミの時間も、包んでくださる暖かさみたいなものが教室の中にありました。あと、すごいお喋りだったなぁというのを覚えています。研究で行かれたご旅行先での話とか、こういう経験があって、こういう学びがあってとか。そのお話を聞くのが楽しかったですね。
- 仁藤
- 車が壊れた話とか、だよね(笑)。研究で韓国に行ったとき、国道で車が壊れてしまって、押したんですよ。
- 藤塚
- そうそう。そういうことを楽しそうに話してくださるので、本当に雰囲気のいいゼミだったと思います。
- 編集部
- 仁藤先生の方で、お二人について記憶に残っていることはありますか?
- 仁藤
- いろいろなことを覚えています。でも印象に残っているのは、やっぱり教育実習のことかな。普段、彼らが私に見せているのは、学生としての顔じゃないですか。ところが教育実習の場で見たときは、一人の立派な社会人であり、一人前の先生なんです。そういう姿を見たときに、林さんや藤塚さんが持っている豊かさというか、そういうものに感動しました。そして、自分も教員としてもっと成長していかなければ、自戒と希望を持ちながら帰ったことを覚えています。教え子に教えられるというんですか、二人とも素敵な先生でした。
教員になって
- 編集部
- 大学の学びで、今の仕事に生きているなと思うことはありますか?
- 林
- 粘り強さですかね。歴史の学びは、史料を一つ読んでそれでおしまいにはならないんですよ。たとえば同じ戦でも、勝った人と負けた人では立場によって書き方が違うから。だから史料と史料を読み合わせて、背景から何があったのかを探っていきます。教育の現場も同じで、粘り強い取り組みが必要です。子どもたちは私たちの想像をはるかに超えることをしますから。何度でも粘り強く取り組んで行く。そういうところに歴史の学びが生きているかなと思います。
- 編集部
- 実際に教壇に立ってみて、教員を目指していた頃との違いはありますか?
- 林
- 憧れていた教員像を目指すという点において変わりありませんが、実際に教員になってみて思うのは、子どもに教える以外の部分の大変さですね。授業の準備だとか、クラスの運営だとか、そのあたりのことは教職に実際に就いてみるまでは分かりませんでした。
- 編集部
- 子どもと接していて、楽しいと感じるのはどんなときですか?
- 林
- 子どもの変化に立ち会えるときですね。子どもって、分からないことや難しいことがいっぱいじゃないですか。それが分かったとき、楽しいとか、そういうプラスの言葉が聞けたときに、「あ、先生になってよかったな」って思います。
- 仁藤
- 大学の先生も同じよ(笑)。よかったなとか、分かったなとか。
- 編集部
- 藤塚さんはどうですか。大学の学びで、今の仕事に生きていると思うことはありますか?
- 藤塚
- 大学では歴史以外にも、さまざまな授業を幅広く受けられたので、そこで得た知識や史料が今の授業づくりに役立っています。それから歴史の学びでは、常に多面的に物事を見たり考えたりすることが要求されます。僕はいろんな物の見方や考え方を生徒に身に付けさせてあげたいと思っているので、そういうところも役立っています。先生の授業をお手本にして振り返りながら、大学時代のレジュメなどを授業づくりの参考にしています。あとは大学のサークルでの経験ですね。
- 編集部
- どんなサークルに入っていたのですか?
- 藤塚
- 児童教育研究会というサークルに所属していました。大学の近くにいる子どもたちを集めて、イベントを開催したりするんですが、子どもたちと触れあった経験が今の仕事に役立っていると感じます。どういう子がいるのかとか、子どもたちの間で何が流行っているかとか、どういう会話をすると盛りあがるかとか、そういうことが知れたのがよかったと思います。
- 編集部
- 最後に先生にお伺いします。文学部の卒業生は、どのような道に進む人が多いのですか?
- 仁藤
- 教員になる人が多いですが、埋蔵文化財の発掘調査員?各種の学芸員や図書館司書、出版社?測量や地図関連会社など専門を生かした職に就いた人も少なくありません。そのほか、地方公務員(一般行政職や警察官など)や一般企業に勤めている人もいます。嬉しいのは、卒業生から結婚したとか、転職したとか、出産したとか、人生の節目で、連絡をくださることです。この前は、卒業生が同級生を誘って、ベビーカーで赤ちゃんを連れて研究室を訪ねてくださいました。
- 編集部
- 個性豊かな学びだけに、進路もバラエティに富んでいるのですね。
- 仁藤
- そうなんです。冒頭でも話したように、「好き」で文学部を選ばれた方は大きなエネルギーを持たれています。大学の4年間を通じて得るものはたくさんあると思います。ですから、親御さんにもぜひ言いたいのですが、安定ばかりを求めるのではなく、その子の長い豊かな人生のために、好きなことを好きなだけさせてあげる、そういうことが大切だと思います。そういう道を選んで来た人は、最初にもいいましたが、潔いですね。林さんも藤塚さんも、文学部に来てくれてありがとう。
- 林、藤塚
- こちらこそ、ありがとうございました。
- 編集部
- 温かい学びの雰囲気が伝わってきました。今日はありがとうございました。
仁藤 智子(NITO Satoko)
国士舘大学 文学部 史学地理学科 教授 文学部学部長
●博士(人文科学)/お茶の水大学大学院 人間文化研究科 比較文化学専攻 単位取得退学
●専門/日本古代史
林 伽音(はやし かのん)
2022年度卒業
小学校教員
藤塚 悠真(ふじつか ゆうま)
2022年度卒業
中学校教員
掲載情報は、2023年のものです。