編集部: まず、国士舘大学理工学部の建築学系について、その特長をおうかがいしたいと思います。
国士舘大学の建築学系には3つのコースがあります。ひとつは「建築総合技術?サステナブルコース」、もうひとつは「建築都市デザインコース」、そして「建築医療福祉コース」です。
この中で、例えば「建築医療福祉コース」とありますが、建築と医療や福祉がどう関係するのって思いませんか? 一見、関係がなさそうですけど、でも、最近の建築には「ユニバーサルデザイン」という考え方があります。健常者と障害者、高齢者が区別なく、誰もが快適に利用できるという建築のあり方ですね。社会の高齢化が進んでくると、建築にもこうした「人間へのやさしさ」が求められてきます。
そこで今、私たちがキーワードとして掲げているのが「ヒューマンライク」という言葉です。これは「人間らしさ」を大切にするという意味です。建築にはいろんな分野があって、私たちのように設計をする仕事から、構造を考える人、現場を管理する人、また、建築機材の設計や建物を管理するファシリティマネジメントのような職種まで、実に多彩です。こういった建築関係のビジネスは、今まで生産性や効率などを中心に考えてきました。でも、これからは違います。いかに安全で、快適で、また地球環境にやさしいか、こういった点が問われると思います。そんな中で行きついたのが「ヒューマンライク」という考え方です。今まで以上に人間に目を向けた、人と地球にやさしい建築のあり方を考えていこう。これが今の建築学系の目指すところになっています。
編集部: 先生は建築の専門分野で、どのような研究をなさっているのですか。
私の専門は、建築家として建物の設計をすることです。建築家といっても世の中にはいろいろあって、高層ビルの専門家や病院や学校建築の専門家など、さまざまです。でも、僕の場合はそういう専門性のある建築ではなく、設計者として「空間をつくる」ということに主眼をおいています。一級建築士として責任を持ちながら、いかにして施主が望むものを創るかということです。
建築の仕事はビルや住居などの建物を設計することです。でも、それらはあくまで器であって、大切なのは中身である空間です。空間は目に見えないけれど、そこには住む人の暮らしがあり、空気があります。その目に見えない空間を、いかに心地よくするか、住む人に感動や安心を与えられるかといったことを目指して設計しています。
映画と同じで、建築の仕事はひとりではできません。多くのプロフェッショナルの方々とコラボレーションしながら、クリエイターとして、自分の発想するものを形にしていきます。さまざまな専門家のノウハウをうまくコントロールして、自分の思うままのものを創っていく。そういう意味では、自分は何かの専門家ではないけれど、創りたいものは何でも創れると思っています。
編集部: 先生は海外で建築を学ばれ、仕事をされていますね。
はい、大学はカリフォルニア大学バークレー校に入りました。僕は小さい頃から乗りものが好きで、本当は宇宙飛行士になりたかったんです。それで宇宙工学をやろうと思っていたのですが、高校三年生のときに数学の成績が下がりましてね、それで建築の方に目標をシフトしました。でも、始めてみると、建築は面白かったですね。向こうの建築教育は数学が要らないので、もう完全にはまってしまいました。それでハーバードのデザインスクールに進んで、修士を取りました。
僕は日系アメリカ人の家に生まれ、13才まで日本にいましたが、その後アメリカに移り住みました。日本で生まれて、日本人の血は流れているのに、国籍はアメリカで、だから、「自分は一体何人なんだ」という問いかけがありました。そういう環境の中で育って、仲よくなったのが東洋の人たちです。日本人ということを超越して、自然とアジア人としての意識が芽生えてきました。今でも国士舘大学を基点として、アジアには研究や建築家協会の活動などでよく行っています。こういう僕自身の経験から出てきたものを学生たちにどうやって伝えるか、そこのところをいつも考えています。
編集部: 海外に学生たちを連れていかれるとうかがいました。国際的な感覚を養うためですか。
定期的ではありませんが、建築学系では、希望する学生をできるだけ海外に連れていきたいと考えています。学校の研修では、2001年に初めて学生をアメリカに連れていきました。2009年にはドバイとエジプトを回り、一昨年はトルコとギリシャに行きました。今度はスペインとフランスに行くことになっています。
また、3年次にはゼミ旅行もあります。僕の研究室はアジアの研究をやっているので、アジア諸国に学生を連れて行きます。このゼミ旅行には見聞を広める以外に、もう一つ目的があります。それは日本人の学生に、留学生に対する理解を深めてもらうことです。
ゼミ旅行で行くのは、中国や韓国など、留学生たちの母国です。当然のことながら母国に行けば、留学生たちはイキイキと振る舞います。そういう姿を日本人の学生に見てもらいたいのです。現地では言葉が通じないので、日本人の学生は何もできません。バスのチケット一枚買うにも、留学生の助けが必要です。そういう状況に身を置いて、日本に暮らしている留学生の苦労を分かってほしいんです。こういうところから国際交流の理解が深まるものと僕は考えています。
編集部: ゼミではどのような学びを行っているのですか?
ゼミは3年生からですが、基本的にゼミでは僕はあまり教えません。というのは、学生にどんどん外に出ていって、学んでほしいと思っているからです。こと建築に限っていえば、世の中ではいろんなことが行われています。学生はもちろん、一般の人に向けた講演会とか展覧会とか。外の世界は学びたい放題なんです。そういった外のすばらしい人たちの話を聞いたり、国際的な展覧会などを見て歩いたりすることが、いちばんの学びになるんじゃないか。だから、学期の始めにみんなで企画を立てて、見に行くところを決めるわけです。そうして講演会を聞いたり、展覧会を見たりして、それをみんなでディスカッションして、リポートにまとめていきます。さらにそれを学期末に「インデザイン」というソフトを使って、一冊の本にするということをやっています。こういうのがいちばんの学びになるんですよ。
編集部: 学生たちには、キャンパスの外にどんどん出てほしいということですね
ええ、ゼミに限らず、「建築ウォーク」といって、僕は学生をよく教室の外に連れだします。たとえば1年生にはキャンパスの中を歩いて見てもらいます。「キャンパスウォーク」というんですが、自分が4年間過ごす身近な場所の建築物を見て回る。建築物はどこにでもあるし、どれを見てもいい勉強になるんですね。
そのために、僕らのいる研究室やスタジオは、設計の段階で天井を張らないでくれとお願いしました。ほら、パイプや配線がむき出しになっているでしょう。配管に色づけしてもらっているので、何がどこをどう通っているかがひと目で分かります。身近なところで実践的に理解してもらうことが狙いです。
それから先日は「未来の都市?建築論」という授業で、神奈川県の藤野という町に行ってきました。同じ建築学系の井上先生という方が、長年神奈川県庁に勤めていらしたことがあり、さまざまなすばらしいプロジェクトに関わってらっしゃいました。その先生が手がけたプロジェクトのひとつが、藤野だったんです。この町は、アートで村おこしをした成功例ですね。そこを井上先生の授業に相乗りするという形で、学生たちを連れていきました。藤野に住み着いた外国人がやっている「ブライアン藍染め工房」や、廃業したホテルの地下駐車場をアーティストに貸し出す「アートヴィレッジ2」、神奈川県立「藤野芸術の家」などを見て回りました。
編集部: スーパージュリーという独自のプログラムがあるそうですが、どういうものですか?
「スーパージュリー」は、前期と後期の学期末に行われる建築作品の講評会のことです。ジュリー(Jury)というのは英語で陪審員のことですね。うちの建築学系には「設計スタジオ」という授業があります。2年次と3年次にやる授業ですが、それぞれ課題が与えられ、学生は自分が創った建築作品を担当の先生方の指導を受けて仕上げていきます。ふだんは授業の中で作ったものを担当の先生が講評するのですが、前期と後期に1回ずつ、優秀な作品をピックアップして、外部の建築家や先生方を招いて、特別に講評会を開きます。それが「スーパージュリー」です。今回は国士舘大学が100周年を記念して、世田谷キャンパス内に「スポーツ博物館」を建設するという想定のもとに、課題に取り組んでもらいました。
建築の世界は1+1は2ではありません。3でもあり、5でもある。いかにその建築プランが良いかを、施主の方に対して説得していかなければなりません。そのためにはプレゼンが大切で、1+1が3にも5にも見えるような提案をしなければならない。そのスキルを磨くのが「スーパージュリー」のような講評会です。
アメリカでは、ジュリーは空手の組み手のようなもので、講評する側は、あえてけんか腰で出品者の作品を批評するわけです。プレゼンがいい加減だったり、模型がへたくそだったりすると、いきなりグシャッとつぶされたりするわけです。これが面白いんですね。もちろんやられた学生はへこみますよ。でも、これぐらいのことに耐えるタフさがなければだめなんです。図面の表現に加えて、口頭の表現、いかに説得力があるか、これを培っていかなければなりません。社会に出ると、こういうコミュニケーション能力が役に立つんです。
編集部: 建築の学びを通して、どのような人間を育てたいとお考えですか?
まず、ひとつは頭の中で何に対しても疑問を持てる人間を育てたいですね。何に対しても「ハテナ?」と思うこと。講義が終わって「質問ある?」といったときに、黙っているんじゃなくて、ぜひ手を挙げてもらいたい、そういう人間を育てたいですね。与えられたものを吸収するだけではなく、自分から問題に切り込んでいくような人になってもらいたいと思います。
たとえば、上海の株が暴落したというニュースがありましたよね。そのとき僕は学生に言ったんですよ。「これは君たちの人生に関係するかもしれないよ。たとえば、内装屋さんに就職が内定していて、そういうのが取り消しされるかもしれないよ」ってね。そうでしょう。株が下がるということは、中国人の資産が減るということで、そうするとこれまで爆買いしていた中国人が日本に来なくなるかもしれない。となると日本の経済も悪くなって、店舗を増やそうと計画していた企業が取りやめるかもしれない。そうすると内装屋さんの仕事が減って、新卒採用どころではなくなる。で、せっかくの内定が取り消しになるということも起こりうる。「株は経済のことだから、俺たちには関係ない」と、そういうことではだめなんです。何にでも興味を持ち、何でも知っていることが大切なんです。
僕は建築の仕事を、よくオーケストラに喩えます。設計者である僕はオーケストラでいえば指揮者です。でも、指揮者ひとりでは逆立ちしたって演奏はできません。バイオリンやビオラ、トロンボーンやティンパニーなど、いろんな人の力がいる。建築も同じで、構造技術、設備、空調、ランドスケープなど、さまざまな人の力が必要です。その全部をタクトを振って調整するのが建築家の仕事です。だから建築家はコミュニケーション能力に長けていなけりゃならないし、何でも知ってる物知りじゃないとだめなんです。
何にでも興味を持ち、疑問があったら、その疑問に自ら切り込んで考えていく。こういう前向きな人間に育てば、建築家に限らず、社会に出てどんな仕事に就いても立派にやっていけると思います。
国広 ジョージ(KUNIHIRO JOJI)教授プロフィール
●建築学修士/ハーバード大学院デザイン?スクール
●専門/建築設計?建築計画?近代建築史
●所属学会/日本建築学会?日本建築家協会?アメリカ建築家協会?アジア近代建築ネットワーク