編集部: 国士舘大学の法学部には、どのような志を持って学びに来る学生が多いのですか?
そもそも学生が大学に何を期待して来るかというと、ほとんどの場合は、自分の将来設計に役立てるためだと思います。例えば、仕事や就職などですね。自分の夢を見つけるために、また、夢に向かって進んでいくために大学で学び、必要なスキルを身につける。法学部の場合でいうと、それは法律的な素養になります。
法律は社会を規律するためのルールです。日本は法治国家ですから、当然、社会は法律によって律せられています。法律を学ぶことは、社会そのものの骨組みを学ぶことですから、法律を知っていると、社会に出ていろいろつぶしがきくんですね。法学部に来る学生は、そこにいちばんの魅力を感じているのではないでしょうか。特に国士舘大学法学部の「現代ビジネス法学科」では、ビジネスや日常生活で生きてくる法律を幅広く実践的に学ぶことができます。ここで得た知識は就職にも役立つし、社会に出てからも、さまざまな場面で生きてくると思います。
編集部: 「現代ビジネス法学科」では、具体的にどのようなことを学ぶのでしょうか?
国士舘大学の法学部には2つの学科があります。1つは「法律学科」で、もう1つが「現代ビジネス法学科」です。同じ法学部でも、「法律学科」は憲法、民法、刑法といったいわゆる六法を学び、弁護士や公務員なども目指せる学科です。これに対して、「現代ビジネス法学科」は、企業の活動やビジネスに関する法律を学び、企業の法務部や特許部門などの一員として活躍する人材を主に育成しています。
考えてみれば、企業活動の多くは、法律によって成り立っているわけです。たとえば企業間の取引で行われる契約も法律に基づくものですし、商品の特許や商標登録などにも法律は深く関わっています。従業員が会社で働くのだって雇用契約が成立しているからで、労務の分野で働いても法律の知識は役に立ちます。このように、ビジネスに必要なさまざまな法律を幅広く学び、企業の最前線で活躍できるような人材を育成するのが、「現代ビジネス法学科」なのです。
編集部: その中で、先生のご専門である租税を学ぶことには、どのような意味があるのでしょう?
税金というのは、社会を構成している最も重要なファクターの1つです。国民が税金を払わなければ、国家は成り立ちませんからね。とはいっても、税金は誰もが払いたくないものです。できれば税金を払いたくない、税金は高すぎる。こういった感覚を「痛税感」と呼びます。痛税感を感じるときは、ある意味、国民が最も社会参画を意識する瞬間なのです。
政治に関心を持ちましょう、選挙に行きましょうといっても、どのようにして社会ができているか、その仕組みを理解していないと、なかなか心に響きません。でも、税金を勉強すると、誰もが払いたくないものだから、これを負担する意味は何なのかと考えるようになります。ここを入口にして学んでいくと、国家や社会などのいろいろな仕組みが見えてきます。なぜ税金を払う必要があるのだろう、払った税金はどのような目的で使われているのだろう。こういった疑問の先に、国家の組織や制度設計があるからです。
日本は近代国家です。だから、国民を搾取するような王様はいません。自分たちで選んだ国会議員が国会で決めた税金を、自分たちの手で払っているわけです。国民は、国に育ててもらっているわけでも、生かしてもらっているわけでもない。自分たち自身で国を作っている。だから、国民には選挙権があり、同時に税金を払う義務があるのです。まさに税法を学ぶということは、社会のあり方を学ぶことなのです。
編集部: 国士舘大学の法学部では、どのようなことを教えてらっしゃるのですか?
私が担当しているのは、2年生以上を対象とした「税と生活」と、3年生以上を対象とした「税と企業」という授業、それに1年生から4年生までのゼミナールです。
「税と生活」では、市民生活における税金の話をしています。消費税とか所得税とか相続税といったことです。学生でも、アルバイトをしていると所得税を手取りから天引きされるので、所得税の話にはみんな関心があるようです。「税と企業」では、もう少し深く突っ込んで、法人税の学習や、税務調査における法律問題などをやっています。プライベートなところにまで調査が及んだ事例などを紹介して、プライバシー侵害の問題なども教えています。
授業では、できるだけ具体的な事例を取り上げ、わかりやすく話すように心がけています。国士舘の学生は、みんな熱心に聞いてくれますよ。中には関心を持った学生が、税理士を目指したいとか、行政の方に行って国税専門官になりたいと言ってくることもあります。実際、国士舘大学のOBには、行政の現場で活躍されている方が大勢いらっしゃいます。私の授業を聞いて、そういう志を抱いてくれる学生が出てくるのは大歓迎ですね。教師冥利につきると思います。
編集部: ゼミではどのようなことを学ぶのですか?
1年生から4年生までのゼミを受け持っていますが、授業の内容は学年によって違います。1年生のゼミでは基礎的なこと、新聞の中からトピックスを拾い上げて、みんなで議論したりしています。たとえば、冬山で遭難した人がいるとします。みんなが危険だと言っているのに、登山した方が悪いんじゃないの? という疑問を私から学生に投げかけます。そんな人を助けるのは、税金の無駄なんじゃないかって。その上で、冬山登山をして「いいと思う人」「悪いと思う人」で、クラスを半分に分け、ディベートをしてもいます。このような具体的な議論の中から、法律的な主張をすることを少しずつ意識してもらっています。
2年生はもう少し高度なことをやります。たとえば消費税の増税に「賛成の人」「反対の人」に分かれて議論してもらったりしています。自分たちの意見形成をするためには、いろいろなことを調べなくてはなりません。それが勉強になるんですね。あとは面白い教材、たとえばハーバード大学のマイケル?サンデル教授の「白熱教室」などを持ってきて、みんなでリーディングをやります。1、2年のうちは、専門的なことよりも基礎的なことを学び、想像力や感受性を養いたいと思っています。
3、4年になると、個別専門的に税法というのをやります。たとえば、住所を移転させて税金逃れをしようとした事件などを題材にしながら、税法の解釈上の問題を取り上げるなど、具体的な事例を使って授業を進めています。私としては、なるべく学生に調べてもらって、自ら発表してもらうようにしています。ゼミは学生の主体性を引き出すことが大事なので、学生の言葉の中からいろいろ引き出して、楽しい議論にするよう心がけています。
編集部: 先生ご自身は、どのような研究活動を行ってらっしゃるのですか?
私は、租税法の解釈論を専門に研究しています。いまある法律を前提として、その法律の解釈適用問題を研究していますが、それとは別に、税制のあるべき姿というのも論じています。私はそのために研究会を立ち上げて、そこで学識者などを集めて研究提言を行っています。自分たちで考え、構築していったことを、社会的に反映させていきたいという思いでやっています。
もう1つの活動として、実際の実務家である税理士たちのスキルをアップさせるための勉強会も開催しています。税理士たちを対象に、あるべき税理士の姿や法律の解釈などを教えています。また、税務大学校で行政官の指導や、国税庁、財務省の職員の指導などもやっています。税金というのは、ときとして国民の財産権を侵害するもので、極めて強行的な法制度が敷かれています。滞納するとテレビまで持っていかれますからね。だからこそ、そこで働くプレーヤー、税理士や行政官がしっかりと法律を遵守した形で行わなければならない。大学教授という中立的な立場から、双方にきちんとした法律の解釈をさせることが、私にとっての重要なライフワークになっています。
編集部: 法律や租税を教える上で、何か工夫のようなものはなされていますか?
学生の前で話をするときは、なるべく具体的に話すようにしています。一例をあげますと、税制の考え方に「公平」というのがありますね。この公平という概念が、簡単そうで実は難しいのです。私は学生に、こんなふうに教えています。たとえば、成人した学生同士でコンパに行くとしますね。参加費は1人5千円。一律5千円で割り勘にするというのは、とりあえず公平なように思えます。でも、本当にそれが公平でしょうか。よく考えてみてほしいと。たとえば鈴木さんはお酒が飲めないのに、同じ5千円を払うの? 事情があって遅れて来た人も同じ5千円なの? また、先生は学生よりお金をいっぱい持っているのに、それも同じ5千円でいいの? このような疑問が出てくるわけです。公平の出発点は割り勘だったのに、論じれば論じるほど、社会が進めば進むほど、「それでいいの?」となるわけです。そして、こういうことを意識して論じた延長線で、今の社会の税制というものの成り立ちを学んでもらいます。累進課税や医療控除、シングルマザーや子だくさん世帯への支援などですね。このように具体的に話すと、とっつきにくい話でも、学生たちはよく理解してくれます。
編集部: 先生は法学部の学びを通じて、どのような人材を育成し、輩出していきたいとお考えですか?
そうですね。学生には、やっぱり自信を持った人間になってほしいと思いますね。社会で自分の立ち位置をしっかり持っている人間と言いますか。そういう人間は、大人として魅力があります。魅力があれば、人から好かれる。人に好かれると、生きていくのも楽しくなるし、いろんなことがうまくいきます。うつむいてばかりいる人間は、魅力がありません。
自信を持った人になるためには、何でもいいから1つ、得意なものを身につけろと私は学生に言っています。それは勉強でなくてもいいのです。たとえば、「襟巻きに関しては私が世界でいちばん詳しい」とかね、そんなことでもいい。とにかく胸を張って人に言えること。それを身につけると、自然と自信が持てるようになります。
漠然と「幸せになりたい」なんて考えてほしくはないですね。幸せなんて、なりたいと思ってなれるものではありません。社会に出ると、辛いことがいっぱいあります。世の中そんなに甘くはない。それを乗り切っていくためにも、自信は必要なんです。自信があるということは、自分を愛するということです。困難に出会ったとき、救ってくれるのは、自分への愛です。みんなにはぜひ、胸を張って、自分で自分を愛していると言える人間になってほしいと思っています。
酒井 克彦(SAKAI Katsuhiko)教授プロフィール
●法学博士/中央大学大学院法学研究科博士課程
●専門/租税法
掲載情報は、
2013年のものです。