編集部: 先生が専門に研究なさっているスポーツ法学とは、どういうものでしょうか?
スポーツ法学というのは、とても幅の広い学問分野です。たとえば、すべての人々にはスポーツをする権利があるという考え方があります。それは何のためかというと、幸せになるため、健康になるため、いろいろな見方がありますね。そういう角度からの研究がひとつ。それから、スポーツは文化であるという考え方もあります。文化は人々の生活を豊かにするツールになるわけで、いつ頃からスポーツはそういう文化としての要素を持つようになったかという研究もある。スポーツを多角的に見ていこうとする学問でもありますね。その中で、最も多いのはスポーツ事故の研究です。スポーツ活動中に起きる事故はけっこう多いんですよ。事故が起きたとき、その被害者はどうなるのか。ケガをしたままでいいのか。人権保障はどうなるのか、といったことが問われてきます。これもスポーツ法学の重要な研究分野のひとつです。
実は昨年(2011年)6月に、「スポーツ基本法」という新しい法律が国会で誕生しました。これはスポーツ法学会の方で以前から働きかけていたものですが、日弁連も積極的に議論もしていました。また世論の高まりもあり超党派で可決されました。この法律ができたことで、今後、スポーツ法学の研究分野はさらに広がっていくと思います。
編集部: スポーツ基本法というのは、どのような法律ですか?
スポーツ基本法は、これまであったスポーツ振興法を全面改定したものです。スポーツ振興法は昭和36年に、東京オリンピック開催の機運の中で、スポーツ施設を増やし、青少年の体力向上を図ろうという目的で制定されました。スポーツ施設を作るのはお金がかかりますからね、だからこれを国の補助で行うという画期的な法律でした。
ところが、昭和から平成になり、時代の移り変わりとともに、スポーツの役割も変わってきます。国民が健康で文化的な生活をするために、スポーツは欠かせない存在となってきました。となるとスポーツ振興だけではなく、人々の権利であるとか、文化であるとか、スポーツを新しい視点で捉えた法律が必要になってきます。そんな中で長年議論され、新たに生まれたのがスポーツ基本法だったのです。
編集部: スポーツ基本法の成立で、私たちの暮らしは変わるのでしょうか?
スポーツ基本法では、前文の中に「スポーツは、世界共通の人類の文化である」という理念が明記されています。日本におけるスポーツのあり方とか、スポーツに対して国はどういう取り組みをするのかといったことが定められ、これに基づいて国のスポーツ施策が実施されるわけです。たとえば、競技スポーツを育成するために、オリンピックなどに力を入れるわけです。もちろんアスリートを育てるためには、学校の体育や部活動も重要です。体育に関する指導の充実や、スポーツ施設の整備、教員の資質の向上など、こういったこともスポーツ基本法には書かれています。
また、仕事をリタイアしたあと、スポーツを健康のために楽しむという人も増えていますね。その人たちのために、生涯スポーツという考え方も出てきます。そのために総合型地域スポーツクラブを全国に作りなさいという基本計画も出てきます。サッカーとか野球とか、バスケットやバレー、その他、多種目のスポーツを楽しめるのが総合型地域スポーツクラブの特色です。ドイツなんかは、地域のこのような施設に一流アスリートが来て練習をするとともに、一般市民にも教えていくわけです。トップアスリートを育成すると同時に、彼らが習得した技能やマネジメント力を地域の人々に還元し、新たな才能を発掘するなど、好循環を生みだしています。日本もこれに習おうというわけですね。
編集部: 日本にも、総合型地域スポーツクラブはあるのですか?
もちろんあります。全国の都道府県、市町村にクラブ施設が設けられています。人々が身近な地域で、スポーツに親しむことのできる新しいタイプのスポーツクラブですね。ただ、いま、こういう施設にスポーツ事故とか、法的責任について知見を有する人材が求められている。スポーツを楽しむときは、常に事故やケガの危険がついてまわります。スポーツ事故を未然に防ぐためにはどうすればいいか。また、事故が起きたときにはどうすればいいか。その対処の仕方を知っている人がいれば、より安心して人々はスポーツを楽しめます。図書館には司書がいるでしょう。博物館には学芸員がいます。それと同じように、スポーツ施設にもスポーツを指導する人材が必要だと私は感じています。
編集部: 国士舘大学の法学部で、その人材を育成していこうというわけですね。
その通りです。国士舘大学には、高校時代まで熱心にスポーツをやっていた学生が多数在籍しています。私のゼミにも、甲子園を目ざした学生や、ラグビーで活躍した人間などがいます。こういうアスリートがスポーツを辞めたあと、どのような人生を歩むのかと考えたとき、活躍の場がもっと広がるといいなと思っています。たとえば、総合型地域スポーツクラブのマネージャーとか、指導者とか、あとは学校の教員ですね。いろいろ道はあると思います。実際、私のゼミにも、将来はスポーツ関係の仕事に就きたいという学生がけっこういます。自らのスポーツ経験に、法学の知識やセンスを身につければ、社会に出て活躍する場が広がると思っています。
編集部: 先生の専門の研究分野はスポーツ事故ですね。そもそも、なぜこの研究の道に進まれたのですか。
私はもともと教育関係の出版社に勤めていました。そこで20数年編集者をやっていて、途中から学校事故の取材をするようになりました。そのきっかけは、学校で起きた二つの事故でした。一つは柔道の事故で、もう一つは水泳の事故です。柔道は、ある工業高等専門学校に入学した生徒が、部活動中に教官に投げられて、いわゆる植物状態になってしまうんですね。お父さんが原因を究明したいということで学校に行くんですが、向こうは知らぬ存ぜぬで、結局お父さんは裁判を起こします。その過程を私は編集者として取材して、ご両親の悲しみや苦しみを知ることになります。
もう一つの事故は、学校の水泳の授業中に起きました。ある中学生が指導要領にない教え方で飛び込んで、プールの底で頭を打つんです。彼もこの事故で植物状態になりました。これも裁判になりますが、こちらは教師の指導上の過失があるという判決が出るんです。こういうことが印象に残り、学校事故の被害者を取材していく中で、私自身はスポーツ指導のあり方に目覚めていきました。事故を起こさないためにはどうしたらいいか、事故が起きた場合はどう対処するか、つまり、リスクマネジメントですね。スポーツの指導者が正しい知識を身につけてさえいれば、防げる事故はたくさんあるんですよ。
編集部: 国士舘大学では、学生たちにどのように教えてらっしゃるのですか?
授業では、なるべく学生に参加させるような工夫をしています。たとえばレジュメを作って、そこに空欄を設けておいて、授業中にそれを埋めさせます。そうして、みんなの前で発表してもらいます。こういうのを毎回やっています。たとえば、スポーツ事故の事例を紹介して、被告と原告の主張を入れておいて、あなただったらどう判断しますかとやるんです。また、今年のロンドンオリンピックで、バドミントンの試合で不正がありましたね。組み合わせを有利にしたいがために、わざと敗退した選手がいました。このような具体例を取り上げて、フェアプレイとは何かを考えてもらい、発言してもらいます。この場合、大切なのは、学生の意見を否定しないことですね。せっかく考えた意見をダメだといったら、誰だってやる気をなくしますから。特に法学で大切なのは、自由に物が言えることなんです。自由な法的ものの見方もそこから生まれてきます。
編集部: ゼミ旅行で、東北にボランティアに行ったとうかがいました。
これはどのような意味を持つのでしょうか?
国士舘大学法学部では、毎年ゼミ旅行に行くことになっています。学生たちに行きたい場所の候補を出させたところ、ある学生が「ボランティアに参加したい」と言いだしました。そうしたら、別の学生が「実は、私はボランティアをやっている」と言うんですね。「ボランティア先を知っているから、行ってみないか」と。すると、彼の提案に全員が賛同しました。それで、今年のゼミ合宿は、東日本大震災で被災した仙台に行き、ボランティアをすることになりました。
この合宿については、私はまったくのノータッチです。行き先は仙台の津波復興支援センターでしたが、ボランティア先との交渉から、宿やバスの手配まで、すべて学生たちにまかせました。現地では、津波の被害にあわれた方のお宅におうかがいして、瓦礫の片づけをしました。一日がかりの作業でしたが、みんなで力を合わせて、ゴミや瓦礫をきれいに片づけました。
先日、ゼミでボランティアの振り返りを行いました。「やってよかった」という感想や、厳しいダメ出しの指摘、反省の弁など、いろいろな意見が噴出しました。学生にとっては、本当に得がたい、貴重な体験になったのではないかと思います。
編集部: 先生は、スポーツ法学の学びを通して、どのような人材を育成しようとお考えですか?
そうですね。私は大学の学びを通して、2つのことを学生に身につけさせたいと考えています。一つは、法的ものの見方ですね。法律というと堅苦しいイメージがありますが、スポーツ法学は扱う題材が身近なため、とても学びやすいんです。たとえばプロスポーツ選手の権利は、労働法の問題ですよね。事故が起きたときは民法の損害賠償とか、刑事責任を問われた場合には刑法が適用されます。プロ野球選手のドラフト制度は、憲法二十二条の職業選択の自由に違反しないか、とかですね。こういう身近な題材を取り上げて、学生たちは法的ものの見方を学んでいきます。
それと、もうひとつは仲間作りですね。スポーツは相手がいて成り立ちますよね。闘い終わったら互いに相手をたたえあう。スポーツの大きな魅力の一つではないでしょうか。学生にそんな関係をつくってもらいたい。私は常々、困ったときには仲間を頼れと学生に言っています。仲間ができると、学校が好きになります。そこがすべての基本になりますね。これは社会に出ても同じだと思います。仲間作りをさせるために、ゼミでは12名を3つのグループに分けて、グループ学習をしています。グループ内で話し合って、自分たちで研究テーマを決め、そのテーマについて調べていきます。調べて発表、調べて発表の繰り返し、これで力が付いていきます。少人数制のゼミだからできることだと思います。
法曹の世界に進む場合はもちろん、一般企業へ就職したり、公務員になる場合でも、こうした法的ものの見方やセンスを身につけることはとても大切だと思います。柔軟なものの見方ができ、かつ、仲間が作れて、チームプレイができる人。きちんとした法的知識に基づいて、スポーツの指導ができるような人。そんな優れた人材を世に送り出していきたい。一般の人にスポーツが広まってきたいま、このような人材の活躍の場は、ますます増えていくと思います。
入澤 充(IRISAWA Mitsuru)教授プロフィール
●立正大学経済学部卒業
●専門/スポーツ法学、教育法学
掲載情報は、
2012年のものです。