編集部: 先生が主任をなさっている教育学専攻は、どのようなことを学ぶところでしょうか?
教育学専攻の学びの特徴は、大きく二つあると思います。一つは、教職その他のさまざまな資格が取得できることです。中学校の社会科、高校の地理歴史科?公民科、中学?高校の保健体育科、養護教諭の教員免許状、さらには社会教育主事や学校図書館司書の資格も取れます。もう一つは、教育に関する学問の領域を、幅広く、しかも専門的に深く学べることです。つまり、「教職?諸資格」と「専門」、この二つの組み合わせによって、一人ひとりが個性的に学べるようになっています。
もう一つ、特徴をあげるとすれば、それは徹底した少人数制の教育です。これは国士舘大学の文学部全体にいえることですが、「一人ひとりの顔が見える教育」を重視し、1クラス約9名以下の演習(ゼミナール)で教員と学生が温かい人間関係を保ちながら学んでいます。この教員と学生の距離の近さは本当にいいと思います。一人ひとりの学生のことがよく分かるし、活発な発表や討論などを通じて、学生同士のコミュニケーションも深まります。この少人数制のもとに、それぞれの専門科目をご担当される先生方が、独自に工夫をされ、ユニークで有意義な教育が行われています。
編集部: 先生ご自身は、どのような分野のご研究を専門になさっているのですか?
私の専門分野は、教育社会学と、生涯学習論です。その中で私が研究しているのは、「シティズンシップ教育」というものです。「シティズンシップ」とは、日本語に訳すと“市民になること”という意味です。そのための教育を「シティズンシップ教育」といって、イギリスでは学校で教える科目にもなっています。
市民になるためになぜ教育が必要なの? と思われるかもしれませんが、イギリスは日本と違って移民の多い国で、さまざまな時代にさまざまな地域から人々が入ってきています。そのような環境では、“一人前の社会人になる”という共通理解は、日本のように自然に生まれるものではなく、意識的に作り上げていく必要があります。たとえば、イギリスでは、他国から入って移民になるためには、シティズンシップのテストを受けなければなりません。そのための参考書や過去問の問題集も売られているほどです。
シティズンシップの概念は、20世紀の半ばにT.H.マーシャルというイギリスの社会学者によって理論づけられました。それによると、ある社会のメンバーには公平にある権利が保障されますが、同時に、社会に貢献する義務も生まれます。つまり、シティズンシップというのは、権利と義務の両方を含んでいる概念なのですね。どのような権利が保証され、どのような義務を果たさなければならないか。それを理解して初めて一人前の社会人になれるのです。これはイギリスに限らず、移民を多く受け入れている欧米諸国に共通する問題です。
編集部: イギリスのシティズンシップ教育と、日本の教育とは、どのような関連があるのですか?
シティズンシップの概念には、コミュニティの内と外という境界が含まれています。自分たちの社会に外側から入ってくる人間を、どのようにして受け入れるかという問題です。ところが、この概念にはもう一つあって、子どもから大人へという側面もあるんです。子どもから大人になるということは、まさに市民として新しく社会の仲間入りをすることで、社会人としての権利を得ると同時に、果たさなければならない義務を持つことです。移民のことは脇に置いても、子どもから大人へという意味で、シティズンシップの概念は、日本の社会にも当てはまるものだと私は思います。
いま、社会の中で、若者が大人になっていくことが難しくなってきていると私は感じています。高度成長の時代は、大学を卒業して就職すると、そこから大人扱いされました。髪の毛を切ったり、スーツを着たりして、形の上で大人の仲間入りをして、そこから段々大人になっていく。そういう時代を我々は生きてきたわけですが、現代は就職が難しいうえに、ライフスタイルも多様化しているので、学校を出たからといってすぐに大人扱いされるという感じではありません。若者も迷いながら青年期を過ごしているし、周囲も彼らをいつから大人扱いしていいか分かりづらい部分もある。大人ってなんだろう、ということが不明瞭になってきているのですね。
編集部: 先生がイギリスに行かれたのは、シティズンシップ教育の研究をなさるためですか?
そうです。私は2008年の3月から翌年の4月まで、訪問研究員として一年間、イギリスの西ヨークシャーにあるハダーズフィールド大学に行ってきました。子どもが大人になっていく過程で、いつ頃から自分は大人になるんだ、どういうふうに生きていけば大人になれるのか、そういった問題を考えるヒントがシティズンシップの概念の中にあるのではないかと考えたからです。それでイギリスに渡って、シティズンシップ教育の研究者のもとで学んだり、その観点で一緒に研究したりしました。おもしろかったのは、私が感じた日本の現状をイギリスの研究者たちに話すと、非常に共感され、同じ問題が我々の社会にもあるといわれたことです。イギリスでも、職につけない若者が増えていて、社会のメンバーであるという自覚や自信を若者がなかなか持ちづらくなっています。いまやこれは、先進国で共通の問題となってきているのです。
編集部: このような先生のご研究は、国士舘大学での教育にどのように繋がるのでしょうか。
子どもから大人へという意味で、大学はまさに社会への出口です。私たち教員は、昔よりもこの点を意識して教育を考えるようになりました。中学や高校はまだ次があるけれど、大学は次の学校がありません。大学を出ると、もう逃げられない。学生自身もそれを切実に感じているし、どうしようと迷い、悩む人も少なくありません。社会に出ることの不安と、自分がそれをやれるかどうかという不安。さらに、どうやって自分を育てたらいいかもなかなか見えにくい時代になっています。このような社会の中で、新しい世代を担っていく若者に、どうしたら社会の一員としての自覚を持ってもらえるか、また、社会に貢献できる人間として成長してもらえるか、そういう現場に私たちは関わっています。
それに昔は会社に入れば、先輩や上司が育ててくれたものです。終身雇用ですから、会社のために育てる必要があったのです。でも、いまは雇用も不安定になって、企業にも人を育てている余裕がない。若者はますます自分を自分で育てていかなければならない状況になっています。我々大人が想像するよりも、ずっと大変な道のりを彼らは歩んでいるのです。シティズンシップの研究は、私たちが日々現場で立ち向かっている教育の問題と、根底でつながっているのです。
編集部: 先生のゼミでは、ユニークな学びが行われていると伺いましたが……。
それはたぶん、ゼミ合宿でやる演劇のことでしょう。私のゼミの学生たちは、毎年3年次に八ヶ岳にある幼稚園に行って、園児たちの前で創作した演劇を披露することになっています。自分たちで原作を選び、脚本を書き、配役を決め、演技の練習をして、幼稚園の舞台で1回きりの公演を行うのです。秋のゼミ合宿で毎年お世話になっているペンションの方のご縁で始まったことですが、2000年からスタートして、いまでは毎年恒例のようになっています。
以前から私が感じていたことですが、大学では学んだことを実際に表現したり、活かしたりできる場が意外に少ないんです。普通に授業をしていると、テストかレポートを書くぐらいで、活用の範囲が狭い。そういう意味では、演劇の創作は非常にいい学びになります。実際に自分たちで深く考え、悩み、迷い、自分の体を使って表現する。学んだことが生きてくるし、成功すればもっと学ぼうという意欲が出てきます。
また、こういう作業を一緒にやることで、仲間意識が生まれてくるのもいいですね。互いの人間関係が深まって、私のいないところで学生が自発的に学び始めます。そういう環境の中でいろいろ議論したり学んだりすることが、大学時代にはとっても大切だと思います。
今年も9月に上演しましたが、今回は非常にうまくいきました。園児のみなさんも大喜びでしたし、学生も手応えを感じたようです。とはいえ、前日までは全然うまくいかなくて、私もハラハラして見ていました。本番の前日になり、追い込まれた彼らは、夜遅くにペンションで車座になってミーティングを開いたのです。そこから見違えるように演技がよくなりました。この成功は、彼らにとって本当にいい経験になったと思います。
編集部: 学んでいる人にインタビュー、という授業もおもしろく拝見させていただきました。
ご覧いただいたのは、社会教育主事資格の授業ですね。生涯学習や社会教育では、学校教育と違って「学ぶ」という概念がとても広いのです。学生は「学ぶ」というと、どうしても学校っぽく考えてしまいますが、お母さんが料理の腕を上げたいと思うのだって、立派に学ぶ行為です。だから、「何でもいいから学んでいる人の話を聞いて来ましょう」というテーマで、この授業をやっています。
実は、この授業の狙いはもう一つあって、それは自分がふだん知りたいと思っていて、なかなか人に聞けないことを、授業を利用して聞いてしまえというものです。改めて聞きにくいことってあるじゃないですか。でも、授業のインタビューだからといえば気軽に聞ける。前回発表した学生は、「母親になるってどういうこと」というテーマで自分の母親にインタビューしてきました。母親になったという実感はいつ得られたのか、結婚するとはどういうことか、結婚する前にはどんな恋愛観を持っていたのか、といったことですね。インタビューしてきたことは、みんなの前で発表してもらい、互いに意見や感想を出し合って議論を深めていきます。
編集部: 授業を通して、学生自らが考え、成長できる場を用意するということですね。
そうです。今回、取材を受けるということで、自分のやっていることは何なのかを改めて考えてみました。一つは、学生とのコミュニケーションをどういうふうにしていくかということ。また、学生同士のコミュニケーションをどのようにして深めていくかということ。これをやっているのだなと思いました。ゼミや少人数の授業はもちろんですが、私は大教室でやるような授業でも、終わった後に、学生に今日の授業はどうだったか、何がおもしろくて何が分からなかったかなど、意見や感想を書いてもらうことにしています。そして、その中から私がこれと思ったものをピックアップし、プリントしてみんなに配っています。次の授業や翌年の授業の参考になるということもありますが、学生自身にとっても、他の学生の考えを知ることは刺激になるし、自ら考えるきっかけになるのです。
編集部: 先生は学生に、どのような人間に育ってほしいとお考えですか?
私は学生に対して、とくにこうなってほしいという理想の人間像は求めません。ただ、大学で過ごす4年間を、後になって振り返って、充実したいい時間だったなと思ってもらえたらいいなと考えています。失敗してもいいから、何かを一所懸命にやったという経験を持ってほしい。そういう時間を仲間とともに共有してほしい。それを通して学生たちが変わり、イキイキとした若者になっていったらいいなと思います。同世代から見ても、まわりの大人から見ても、素敵に見える若者に。そういう素敵な若者は、みんなから可愛がられるじゃないですか。そうすれば、社会に出てから出会った大人が、この若者はいいなと思って育ててくれる。その中でチャンスが掴めるようになってくる。私は特に授業で斬新なことをやっているつもりはありません。ただ、みんなで楽しく、充実した大学生活を送れたらいいなと、そういう温かい環境をつくりたいと考えています。そのためには、まず、私自身が楽しまなくては。私の楽しさが学生に伝搬して、みんながイキイキと輝けたら、それでいいと思っています。
村上 純一(MURAKAMI Junichi)教授プロフィール
●東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了、文学修士
●専門/教育社会学、生涯学習
掲載情報は、
2011年のものです。