編集部: 経済学とは、どういう学問ですか?
私たちは、朝起きて、ゴハンを食べて、仕事に行ったり、帰ったりという日常生活の中で生きています。経済学とは、まさに生きているこの現実の世の中を、いろいろな角度から捉えていこうとする学問なのです。例えば、物を作ったり売ったりという仕事に従事している人々がいます。彼らが3年、5年、10年と働いてきて、「ああ、世の中とはこういったものか」と分かってくる、そういう視点がひとつあります。また、他方では、金融などお金を動かして生きている人々がいます。そういう人が3年、5年、10年と働いてくると、そこには別の視点が生まれてきます。このように、いろいろな人々の視点に立って、現実を多面的に眺めていこうとするのが、経済学の基本です。今の経済学では「ヒト、モノ、カネ、消費者、企業、政府、貿易、資本移動、投機」、この9つの視点から世の中を見ていこうということになっています。
編集部: ご専門のマクロ経済学とは何ですか?
いま言いました経済学の9つの視点は、さらに大きく3つに分けることができます。「ヒト、モノ、カネ」の部分がマクロ経済学、「消費者、企業、政府」がミクロ経済学、「貿易、資本移動、投機」が国際マクロ経済学と呼ばれています。私の研究分野はマクロ経済学で、世の中を「ヒト、モノ、カネ」という視点から見ると、どう見えるかということを研究しています。マクロ経済学は1930年頃、いわゆる大恐慌の後の時代に、ケインズという学者が現れて、政府が積極的に経済に関わるという考え方が出てきて生まれました。80年ほどの間に研究が進んで、そういう角度からの視点ができあがってきたのです。とはいえ、80年しか歴史のない学問ですから、まだ分からない部分もあるんですね。
編集部: 学生にはどのようにしてマクロ経済学を教えていらっしゃるのですか?
まずは学問に先だって、研究の対象となる世の中が存在します。そもそも世の中の諸現象を理解してコントロールしたいという欲求から、学問というものは生まれてきました。しかし、学生には社会経験がありません。それで、どうしても学問というと、活字学問になりがちなのです。そうではなく、本来の学問の姿、現実を理解するための学問というか、できるだけ実学に近い形で経済のことが理解でき、見えるようになってもらいたい。9つの視点のさまざまな方向から、ああでもない、こうでもないと世の中を考えられる柔軟な頭を作ってあげたいと考えています。
そのために、授業も一方的に説明するのではなく、立ち止まって学生に考えてもらえる工夫をしています。例えば、私は黒板にフローチャートをよく書きます。細かい知識はさておいて、まずは「経済学ってこんな感じ」というイメージを持ってほしいからです。1年間かけてそれをやっていくと、だいたい経済学というものはこんなもの、ということが分かってきます。そうすると学生自身もいろいろ考えられるようになってくるし、その手ごたえは感じています。
また、レポートもよく書いてもらうようにしています。社会に出ると、新聞や業界紙、ネットなどを使って膨大な情報に接し、効率的に取捨選択する必要性に迫られます。そういった能力を身につけるためには、やっぱりレポートやレジュメの作成など、文章の要約といったことの訓練を丁寧にやっていくことが大切なのです。学生は苦労しているみたいですが。
編集部: 先生はどうして経済学の道に進まれたのですか?
うちは父親が商社に勤めていて、世界中を飛び回っていました。父のことをかっこいいと思っていた私は、自分も将来は商社マンになるんだろうと思い、大学は経済学部に入りました。ところが、母が40才のときに、突然「看護士になる」といって看護士になってしまった。また、兄も「俺は消防士になる」と言って、会社を辞めて消防士になってしまった。それで、自分はどうなんだという自問が始まりました。大学3年のときですね。進路に迷った私は、就職活動を始めた同級生を横目に、自分を探す旅に出ました。そして、ちょうどスペインにいたとき、ジプシーの家族に誘われてフラメンコを見に行ったんです。彼らの自宅を訪ねると、岩に穴をあけただけの貧しい家に暮らしているんです。お客さんは僕一人で、娘さんとお母さんが踊ってくれました。でも、暮らしは貧しいけれど、とてもたくましく生きている。その姿に感動して、思ったのです。「自分が大学で勉強してきた経済学で、何かこの人たちに貢献することができないか」と。旅行の間中ずっとそれを考えていましたが、答えは見つかりませんでした。でも、あれはポルトガルにいたときだったかな、ふと公園で親子が遊んでいるのを見ていたとき、こんな考えが頭に浮かびました。「経済学は2~300年の歴史のある学問だ。何の役にも立たないものが、これほど長く続くはずがない。本当に経済学が人の役に立つのかどうか、ちゃんと勉強をして確かめてみたい」と。それで就職はせずに、大学院に進む決心をしました。
編集部: その後、博士課程に進まれるわけですね。
はい。博士課程に進んだきっかけは、私を指導してくださった尊敬する恩師の一言です。修士からドクターに進むかどうか迷っていたときに、先生は私に向かってこう言ってくださいました。「大学の教員というのは、自分の専門分野で人材育成に関わることができる。教育はたいへんだけど、やりがいはあるぞ」と。それが博士課程に進学しようと決心した瞬間でした。先生と同じように大学の教員になって、専門分野で人材育成に関わる仕事をしたいと。これなら経済学を通じて社会に貢献したいという私の夢も達せられます。だから私は自分の研究も大切ですが、同時に「社会に出て行く学生たちにどれだけ力を付けてあげられるか」という、教育者としての立場にこだわっていきたいと思っています。それは亡くなられた恩師の遺言でもありますから。
編集部: 現在どのようなご研究をされていますか?
私の専門は、マクロ経済学ですが、企業の設備投資という視点からマクロ経済を見るという研究をやっています。実は子どもの頃から、モノづくりをしている人の顔に憧れを抱いていまして、今でも学会が地方であるときは、ついでに足を伸ばして近くにある工場地帯の見学に出かけるようにしています。そうやってモノづくりの現場を見て、働いている人の話をうかがうと、活字や財務データだけでは分からないことが肌で感じられます。働いている人がどんな生活をして、どんなふうに感じ、将来をどう予測しているのか、私の場合は生の声を聞きながら研究をやっています。この間は神戸で学会があったものですから、海運の倉庫のあたりとか、神戸港から姫路あたりの工業地帯を回って見てきました。
編集部: 話は変わりますが、先生は柳生新陰流の免許皆伝を受けていらっしゃるとか。
はい。一応「技をここまで教えましたよ」と、和紙に墨で書かれた巻物をいただいています。皆伝になると自分で道場が持てるので、国士舘大学でもクラブを開いて教えています。新陰流は二十歳の頃から20年ぐらいやってきました。古流の剣法は、鎧兜を着ているところでの勝負から出たもので、目か首か脇か鎧の隙間を押さえて差し込むという動きになるので、剣道とは違った動きになります。技法ではなく、しっかり押さえていくためには、刀に体がしっかり乗っていく強さが必要です。体を使うには、骨格とか筋肉とか、いろいろ研究していかないと、体と型との連関ができません。流祖は徹底的に研究して、無駄のない動きを作りあげたのだと思います。
物事10年といいますが、剣術も経済学も、だいたい10年やっていると、どういったものか全体像が見えてきます。私の場合は、剣の道を深く探究することで、骨や筋肉など体の造りや医学に至るまで、いろいろなことへの興味関心が広がりました。経済学においても同じだと思います。一つのことに打ち込むと、そこから視野が広がっていきます。
また、兄が消防士をやっていますが、消防も極限状態での動きという点で、剣術と共通点があるわけです。白刃の下に身をさらすわけですから、恐怖で身がすくむ。それに打ち勝つために、型を体に叩き込むわけで、火事の現場での消防士も同じなのですね。現場に到着してからの動作の手順、あれは型なのです。型が自分の体に染みついているから、極限状態でもすっと自然に体が動く。気持ちが分かり合えるので、消防士や自衛隊の方などとの人間関係も広がりました。
編集部: 学生にはどのような社会人になってほしいとお考えですか?
社会に出ていくと、「俺ならこうやる」みたいな意見をしっかり持っている人は、一見よさそうに見えますが、世の中そんなに甘くなくて、一本槍でいくとたいていぶつかって折れてしまいます。世の中は自分と違った考えで動いていることが多いから、こっちでダメならあっちでと、いろいろな視点から物事を見たり考えたりすることが、やはり大切だと思います。違った視点に立って幅広く考える、こういったトレーニングは、経済学が社会人に対してできるいちばんのポイントだと思います。こういったさまざまな視点からの物の見方や、レジュメやレポートの作成を通して培った情報の収集や要約の「技能」は、社会のどんな場面でも役に立ちます。経済の知識は時代とともに古くなっても、修得した人間としての「技能」は決して古くなりません。柔らかな頭で幅広く思考し、探究できる「技能」を、大学の4年間で、私は学生たちにしっかり身につけさせてあげたいと思っています。卒業後の長い人生を強く生きぬいていくために。それこそが大学教育の使命であると私は考えます。
永富 隆司(NAGATOMI Takashi)教授プロフィール
●早稲田大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得満期退学
●専門/マクロ経済学、マクロ経済政策、設備投資
掲載情報は、
2010年作成時のものです。